スティール・ボール・ラン

今までは「ジョジョがさあ」と作品名で会話していたのに、荒木先生自らが「ジョジョじゃない」と明言したことにより、今後は「荒木先生がさあ」と言わなくてはいけなくなった現状に多少戸惑っています。


それというのも、これまでは、「ジョジョ」の一言を唱えるだけで、一応はジョジョという現象を作品として規定でき、ジョジョワールドを錯覚とはいえ内包・把握することが可能でした。しかしこれからは「荒木ワールド」という、どこまで続き、どこまで高く、どこまで深く、何が含まれ、何を放出し、何を生み出すのか誰にも全く予測不可能な言葉でもって、ジョジョそしてスティール・ボール・ランに接しなくてはなりません。


別に「荒木ワールド」でも「ジョジョスティール・ボール・ラン」でも「荒木作品」でもなんでもいいんですが、要は、規定できなくなった、ってことです。

ジョジョスティール・ボール・ラン」なら規定できているだろう、と思われるかもしれませんが、間に入っている”と”の存在が厄介です。”と”はこの場合、インフィニティを意味しています。ジョジョインフィニティスティール・ボール・ランです。軽い気持ちで使うと時空の狭間に足を絡め取られるので気をつけてください。危険です。


ですが、どんなに危険が広がっていようと、これも、荒木ワールドがさらなるとてつもない広がりを持つに到った喜びの前には些少なことです。「広がり」だなんて言葉じゃとても足りないかもしれません。開闢、ですね。荒木開闢の瞬間に我々は立ち会っています。