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スティール・ボール・ラン』 荒木 飛呂彦


スティール・ボール・ランスティール・ボール・ラン!スティール!ボール!ラン!!


何書いていいのか分からなくてウロウロしているうちに木曜になってしまいました。まぁいいや。そんなことより、なんすか、この、ジャンプ史上最も”面白くなりそうな香り”を発する第一回は。


勿論それは、

「日本漫画界、いや、日本表現界、いやさ!全世界表現界において唯一無二である荒木先生の新連載である」

という僕の持つ先入観が成せる技の部分も多く入ってるんでしょうけど、それにしたってこれはヤバイっすよ。突き抜けてますよ。

S級のマンガは、マンガそのものの面白さもさることながら、我々読者がそのマンガについて語るためのパーツや余白や余裕のようなものが非っ常に多く含まれていまして、展開がヒートアップすればするほど、僕たちは熱く、激しく、クールに、多角的に、徹底的に個人的に、冷静に俯瞰的に、狭窄に情熱的に、ムー的にオカルティに、自分のことのように、恋人のことを語るように、宇宙の端を想像するかのように、作品世界に没入することができるようになってます。読者を、作品世界観内に取り込み、一体化させるわけです。


そこから読者の中に、言葉や絵や音やそれらの元になる衝動みたいなものが生まれてきて、ウェブで語られたり、同人誌が出来たり、酒の肴になったり、小説を書き始めたり、新しい才能の扉を抉じ開けたり、富樫義博が出来たりするわけです。


読者が作品世界を支配、消化、コントロールするんじゃないですよ。逆です。作品が一人の人間にあらゆる影響を与えるんです。紛れも無い天才に触れるってことは、そういうことです。


しかし、影響下にありつつも、抵抗・消化・享受できるだけの才能を持った人がたまーにいて、そういう人は、インスピレーションを受けたり、分析しトレースできる部分を探そうとしたり、影響を色濃く受けすぎて自分を見失ったりします。あとは無神経な人が嬉々として語ったりもしてます。


僕を含めた大部分の人は、影響下にあることに無自覚に日々を生きられるので、本当に神様は丁度よく人間を作ったものだなぁ、と思います。ジョジョにインスピレーションなんて受けたら、遅かれ早かれ狂いそうです。恐ろしい。


つまり、作品が個人を取り込むってことです。読者の作品内への吸収。そんな危険な作品が、百万部単位で出版されてるマンガ雑誌に平気な顔して掲載されているのは、とんでもない状況なんですが、いいんでしょうか。無くなったら僕は激怒しますけど、他人事ながら心配です。

うわー、感想書こうと思ってたらそんな場合じゃなくなってきました。でも感想はイン殺さん とゴレさん(id:gole)とこ読めば事足りると思うんで、ここでは荒木先生が動くことによって社会や僕が受ける影響や、荒木作品を読むことにより天井知らずにヒートアップする僕の激情を話します(社会が荒木先生に影響を与えることはほぼ無いと思いますが、予断は目を致命的に曇らせるので、断定せず、念入りに熟考してみます)。


……とりあえず自分が何書いてるかサッパリ分からなくなってきたんで、僕にとってのジョジョベストバトルである、プロシュート・ペッシ戦と吉良戦を読み返し寝ることにします。「ベストって二つあるじゃん」だなんていう人は、おそらく今後の当サイトの展開は肌に合わないものになると思いますので……。では失礼します……。


ああ、あと、ジョジョそして荒木先生のとんでもないところは(とんでもないところは星の数ほどありますが)、絵や設定やキャラクターなど、マンガを構成する全ての世界観が、あれだけ、他人の介在、追従を許さない完璧にカッチリと構築されたものであるにも関わらず、読者がジョジョについて平気で、気安く語ることが出来る点です。各パーツが異常にしっかりしてるのにも関わらず軽くて使いやすいケースは多々あります。しかし、荒木作品のパーツほど重厚で質量と密度がムチャクチャなのに、使いやすいっていうのは、無いんじゃないでしょうか。無い、よなぁ。なんなんだろう。