刑道栄



所用で渋谷を歩いていると、可愛らしい女の子が二人、楽しそうに喋りながら歩いていました。僕はこのような時、聞き耳を立て、あたかも自分が最初から会話の輪の中にいたかのように脳内で振る舞い、虚空に相づちを打ちながら人知れずコミュニケーションによる充足を得ているのですが、その話は長くなるのでまたの機会に譲るとしまして、彼女達の会話はこのようなものでした。


A子「ここのエステさー、超いいんだよ。マジで肌スベスベになってさー」
B美「あー、シミ出来ちゃったから私も行きたいなー。でも夏でお金使いすぎちゃってさぁ」


エステ関係の知識に乏しく、そのエステの名前も実績も知らない僕でしたが、察するにA子は、件のエステに相当心酔しているようで、目を輝かせて熱弁を振るっていました。
しかし彼女達は、既に彼岸に足を踏み入れかけていたことに気付くよしもなかったのです。


彼女達が自分の肌について語り合っているとき(仮想的には僕も混じっておりましたが)、エステの横の路地には、ホームレスの方が午睡をお取りになっておられたのです。
月曜ということもあり、駅のゴミ箱からのジャンプ・ヤンマガ・スピリッツ拾いという重労働をこなしてきたのでしょう。遅れてきた夏の気怠い暑さにも拘わらず、彼は熟睡していました。肌は当然真っ黒でした。


さて、物事には道理というものがあります。世の中は本来、渾沌極まりないものですから、道理などはシミュレーション的なルール立てに過ぎず、本当は存在しないのかもしれません。しかし、とりあえず社会は道理によって動いています。そして、道理は不定形で、如何様なものでも立てることができます。


結論から言いますと、僕の立てた道理に因れば、A子が「肌スベスベ」と発言した場所と、噂の人気エステの立地と、漆黒のホームレスの3つの存在は、因果的に大変アナーキーな作用を及ぼしあっています。


エステの横にホームレス”という図は、社会的に見れば単なる営業妨害であり、屈強な黒人SPを雇えるような店ならば、ホームレスの彼は即座に円山町路地裏にある荒れ地に屍となり放逐されていたはずです。
しかし、因果的に見るならば、人生が一変するレベルの危機をはらむ磁場を形成していました。
 SPはいなかったのか、それともいたが仕事をサボっていたのか、今となっては分かりませんが、とにかく彼は無事、午睡を取ることができました。


ここで一つ、彼岸へのドアが開かれました。


次のドアを開いたのは、A子の発言です。彼女としては、単に友達にお薦め情報を提供しただけなのかもしれませんが、第三存在であるホームレスがそこにいたのを見落としていたのは失敗でした。
白く若々しく美しい肌を持つA子から放たれた「肌スベスベ」という言葉は、本来ならばエステに届き、それで終わるはずでした。
しかし、間にホームレスが存在していたため、言葉は着地点を見失うことになります。
「肌スベスベ」は、A子、エステ、ホームレスの間を乱反射し、拡散することなく密度を増し続け、”ホームレス昼寝現象”と同レベルの周囲に漂う渾沌(カジノの看板持ちのオヤジの独り言、偽ヴィトンが思ったほど売れない外人のボヤキ、『cawaii!』の読者モデル公募に落ちた少女の激昂など)を吸収しながら肥大し、いずれ、A子の元へ異形となりて帰っていくことになるのです。


A子は何か悪いことをしたわけではありません。ただ、不用意でした。


自分の元へ帰ってきた「肌スベスベ」は、彼女の人生に深く暗い闇を落とすことになるでしょう。
僕ならば、何とか除念できたのですが、闇雲に他人の人生に踏み込むことは、往々にして更なる不幸を招きます。彼女の身を案じつつも、僕には自分の無力を呪い、無事を祈ることしかできませんでした。
ただ一つ、せめてもの救いだったのは、”ホームレス、起きてA子に絡む”という最後のドアが開けられなかったことでしょうか・・・・。




〜 Fin 〜